ifaa 連続対談シリーズ第4回 渇望の建築
「雲とグリッド」
概要
開催日:2021年3月27日 オンラインにて実施
登壇者:松浦寿夫(武蔵野美術大学教授・画家・批評家)
林 道郎(美術史・美術批評)
藤井博已(建築家・芝浦工業大学名誉教授)
司会 :戸田 穣(昭和女子大学専任講師)
コーディネーター:藤井由理(早稲田大学准教授)
はじめに 藤井由理
| 本日はifaa(建築と美術研究会)が主催いたします、座談会「雲とグリッド」にご参加くださいまして、誠にありがとうございます。この座談会のコーディネーターを務めます藤井由理と申します。どうぞよろしくお願い致します。 ifaaは、建築と美術といった分野を越えて見出される作品表現や手法、概念について興味を持った建築分野の設計者、研究者、編集者が集まって立ち上げた研究会です。研究会では、2018年から「渇望の建築」というタイトルで連続対談シリーズを行なっており、今回の座談会が4回目となります。 |
| 社会からの要請として、実利的に役立つことだけを求められる建築、安易にファッションとして消費されてしまう近年の建築に対して、より人間と本質的に関わり、「建築とは何か」という問いをはらんだ議論をする場が必要なのではないかと、研究会では考えています。そのような建築と、議論の場を求める、喉の渇きに似た渇望から、「渇望の建築」というタイトルがつけられました。また、この対談シリーズでは、建築と美術を横断する方法として、具体的に「グリッド」に注目し、過去3回の対談でも建築における「グリッド」について議論してきました。 4回目の対談シリーズでは、建築だけではなく、より建築と美術について横断的に議論していただこうと考えております。そのために、今まで扱ってきた「グリッド」について、新しく、美術でもお話しいただくための補助線として、「雲」をテーマに組み込みました。 雲とグリッドを、正反対のものとして対比的に扱い、議論することも可能ですし、また、その一方で、本質的には共通した構造を持つものとして考えることもできます。 まずは、この「雲とグリッド」についてお話し頂きながら、いろいろなお話が聞けると良いのではないかと考えております。 まず、はじめに、本日お招きしている3名の先生方に、イントロダクションとして簡単にミニレクチャーをお願いしております。どうぞよろしくお願い致します。 |
ミニレクチャー01 藤井博已
| 本日のシンポジウムのテーマは「雲とグリッド」ということですが、私は長年に渡ってグリッド(空格子)を用いて建築を作る仕事をしてきました。そこで今回はこれまでのグリッドをめぐる一連の試みをまとめる意味を込めて2枚のダイアグラムを作成しましたので、それを見ながらご説明したいと思います。 まず始めの段階として、私はグリッドを媒体としつつ日常的な景観や建築から意味内容を消去することを試みました。具体的にはグリッド(空格子)などで景観や建築を覆うという方法に依ったのですが、このようにして意味内容を消去することを「負性化(negativity)」と呼びます。
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| プロジェクトの流れとしましてはこの1971年の「建築の負性化」に始まって1975年の「建築の宙吊り」、そして1979年の「建築の変形」さらに1988年には「建築の重層化」という形で積み上げながら現在に至っております。 これから「ダイアグラムⅠ」(Fig.1)の説明に移りますが、上の方には幾種類もの様態を示し、下の方にはそれに関連したドローイングや実際に設計した建築物を並べてみました。 一番初めに行ったのはグリッドで「覆う」ということで、これに該当する「PROJECT-GR」(1971年)あるいは「宮島邸」(1973年)のファサードのドローイングにご注目ください。 |
※クリックすると拡大する図があります
Fig.1
| ここではいずれも対象をグリッドで覆っております。そうすることによってグリッドの持つ特性すなわち同一形体による連続性と同質性による広がりと解放感が得られるのですが、一方でグリッドによって区切られます。つまり対象が断片化されまとまりのなさが感じられるようになります。このような両義的な性質を持つグリッドによって、対象の意味内容が消去され、負性化(negativity)された状態が生み出されるのです。 |
| 次は「建築の変形」のプロジェクトなのですが、「覆う」だけではなく対象に対して「距たり」を作り出すためにグリッドを重ねています。これについてはTシリーズのプロジェクト「T-09」(1980年)、「T-15」(1980年)のドローイングや「望田ビル」(1979年)が相当しますが、これらはグリッドを通して対象を見ることにより、対象が表面化され断片化されることになります。しかしそれは同時に、空格子や断片化した格子を繋いでゆく、つまりシステム化の方向に向かっているとも言えます。このようにグリッドにはここでも相反する二重性が見られ、この場合も先ほどと同様に負性化(negativity)の状態にあると言えます。
さらに「建築の宙吊り」のプロジェクトの場合は、グリッドの連続性によって生じてくる表面と空洞が作り出す両義的な曖昧さにnegativeな面が感じられるよう意図されているのですが、具体例としては「等々力邸」(1975年)と「マル武ビル」(1976年)を見て頂いた方が解りやすいと思います。これらはあるシステム化がなされており、すなわち外部が内部に重なっている状態が見られます。それによって外部と内部の識別が曖昧なものとなってくるのですが、私はここに「両義性」を見出しております。そしてここまで提示しました負性化(negativity)のあり方は、その発展形として最終的にグリッドフレームだけが残る状態すなわち「空洞」へ行き着きます。従って「空洞」はダイアグラムの最後のフレームワークとして示されています。 ここで何ゆえ負性化(negativity)にこだわるのかについて触れておきたいと思います。これらの形式的なシステムは、人間の身体感覚とは切り離されて構築されてきた形而上的なシステムに取って代わる、より普遍的なシステムを目指したものとして考えたものなのです。大切なのは、人間自らが創り出そうとする潜在力を、負性化(negativity)することによって導き出すこと、これを可能にすることなのです。この潜在力は人間誰しもがあまねく持ち合わせているいわば「アノニマス」な力つまり「生命」そのものとも言えるのではないでしょうか。潜在力と言っても理解しづらいので、私が昔経験した例で説明してみましょう。私は高校生の頃、野球をやっておりまして、イレギュラーなボールを捕らえるために何度も繰り返し練習した経験があります。イレギュラーなボールを何とか克服し、自分のものにして捕球できるようになる、そのときに発揮されているのが潜在力であり、その必要性をつくづく感じたわけです。恐らく潜在力とはこのようなことに近いのかもしれません。 |
Fig.2
| 次に負性化(negativity)の可能性へのもうひとつの試みを2枚目の「ダイアグラムⅡ」(Fig.2)に示しました。これはグリッドとグリッドの「重なり」すなわち「重層性」をテーマとした試みであり、左上の図に示しましたように、まずグリッドとグリッドを重ねることから始まります。この重なりはグリッドとグリッドの間に生ずる「距たり」によって変化するわけですが、それによって前方のフレームは後方のフレームを視覚的に分割します。この重なりが繰り返し反復し重層化することによって、グリッドのフレームはより細分化され大気状に変化するのです。このとき、「大気」はグリッドの距たりにおいて揺らいで、仮装し擬態化するでしょう。そして「仮装性」と「擬態性」は大気化した状態のもつ特性として人間の潜在力を導き出し、身体感覚を生命感覚に置き換わることになるのではないかと考えています。これに関連した住宅の例として「MIZOE-No.1 」の住宅写真とドローイング、「MIZOE-No.2」のドローイング、さらに現在進行中のプロジェクト「BW-4」のドローイングがあります。右上の図のように彩色されたダイアグラムは距たりの変化において彩色されたフレームが大気状になります。この大気的な断片は選択と組み合わせを促し、?まるでカラーチャートのように?開かれた「布置」の効果を生み出すのと同時に、人間にとって潜在力を引き出す可能性を一層強めていくように思われます。(ここに示したダイアグラムのような「ドローイング(drawing)」とは、まさに生命を「引き出す(draw)」ための有効な方法なのだと感じているところです。) |
| こうしたグリッドのシステム的な役割については、これから松浦さんや林さんからお話がある「雲」の無形な性状と何か共通するものがあるように考えており、またその相違点などについてもさらに詳しくお話を伺うことができると思います。非常に簡単ではありますが、これで私からのお話を終わらせて頂きます。 |